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  ◇朝井耀子(ASAI YOKO)東京在住
   岐阜で生まれ名古屋で育つ
   名古屋でバレエに勤しむ
   東京で深雪アートフラワーに出会う
 
◇資格
・草月流 
・プリザーブド溶液資格 
・飯田深雪スタジオ師範
・日比谷アカデミー
 ブライダルコース終了
 
 
・2004年 東京都目黒区東山にてアトリエを設立>
・2009年 表参道(北青山)にて教室開校>
・2011年 東日本大 震災後に表参道教室閉鎖
   △都会の真ん中でのお稽古が怖かったビビり者でした">
   ・2013年 初個展「布花コサージュ展」
         於:南青山サロンドフルール
・2016年 布花ロシア本『薔薇』イングリッシュローズ掲載 
・2019年 5月布花カタログ イタリアからの依頼で写真集制作
 
◇飯田深雪アートフラワーでの活動
・2010年 東京深雪会 日本橋三越深雪アートフラワー展 
 ストックデビューとして初参加
・2012年 東京深雪会 日本橋高島屋深雪アートフラワー展 
       特展参加「ハッピーウエディング1」

・2013年 東京深雪会 日本橋高島屋深雪アートフラワー展 
       特展参加「ハッピーウエディング2」

・2014年 東京深雪会 日本橋三越展
       ストックグループ参加
「花の小径」
 
◇飯田深雪アートフラワーと私
>初めてコサージュを作ったのは友人の結婚式。手芸店でカトレアのキットでコサージュを作ったのがきっかけで布花に興味を持っていました。
結婚して東京へ、そこで旦那の親戚の叔母様がお稽古していた深雪アートフラワーを初めて知り!早速東中野の深雪スタジオへ体験レッスンを受けに行く。染めから始まりコテ当と組み立てと流れるように進めば見事に生花のような花が出き上がりました。これぞ私の探していた至福のひと時!子育ても終盤にかかり徐々に手が離れて行く中で出会った最高に素敵な瞬間でした!

自宅で家事と育児のスキ間を見つけて作れるんです。そうアナタにも作れます布花に出会えて人生が喜びへと変わり今では無くてはならない布花の日々となりました
◇プリザーブドフラワーと私

 *2005年Preserved Memorie『花作家が贈る花』
  
ポストカードブックシリーズ
  単行本 フラワーフォレスト発行
作品掲載 
 *2006年第4回 フロールエバープリザーブド
  フラワーコンテス【冬の部】入選
 >
  *2007年第5回 フロールエバープリザーブド
  フラワーコンテスト【文化の部】で入選   
 
 
冬のプレリュード



 ◇私の青春時代を聞いて

  お嬢様だった私は(((笑)))
親の仕事で岐阜から名古屋に引っ越して来た5歳の時に、近くのお医者様のお家で日本舞踊をお稽古が出来るからと母が誘われ、早速私の意思無視でお稽古が始まった。5歳〜8歳までのほんの少しの間でしたが『お嬢さんはとても筋がいいわね』と花柳○○先生が誉め殺した!その言葉に芸事に明るい母は乗せられて本部へ通う事になる。名古屋御園座での公演で「かむろ」踊ることになりましたが、日舞って半端無いお金がかかるんですよね。お嬢さまで無いと続かないって事で、母はある日バレエやってみないと言い出した。バレエって何?状態でバレエの発表会へ私を連れて行く。

それを観た瞬間のカルチャーショックは今も忘れない(^^♪ななんてことよお〜子供達のキラキラ衣装には目が点!お姫様みたいなチュチュの美しさは憧れの塊。ドカーンと大砲一発くらった衝撃でした。こうして母の戦略にまんまと乗せられて、バレエへと邁進してそこから約20年間も続くとは思わ出会いえした。モダンダンス、ジャズダンス、タップダンスへと
枠も広げ、おそらく一生踊り続けたい続けるであろうと思ってた。夢はショーダンスの振付師でした。

学生時代にモダンダンス部を設立!100人を越える後輩達と知り合える幸せ!年1回の発表会を 名古屋市民会館で
開催し、ほぼ全曲を振り付けしダンスだけが私の生き甲斐、と青春時代を他の事などに見向きもせずに突っ走った時代でした。

主な作品に「パンドラの箱」・「ソロモンの占い」・「鶴」
     「ゲット ハツピー」・「ウオーターメロウマン」・「コバルトスズメ」
そんな楽しく充実した日々も、やがて結婚、出産、育児、転居と生活は変化し、結婚4年目にして東京へ引越することになる。名古屋ではジャズダンス教室の二校目を開いたばかりのこの次期に転勤なんてと残念で残念でなりませんでした。行きたくなくてぐずぐずしてると姑様から電話攻撃しぶしぶ東京へ


◇住めば都 
  東京は華やかで文化の塊!いろいろ観たい公演が一杯!これは嬉しいなと思ったが。あにはからんや!3歳の子供を誰がみる?実家から離れてその有難さがやっと分かった。憧れのダンススタジオも沢山あるのに何も出来なかった時期です。

近くに友は居ない何て淋しい東京生活だ!子供つながりのお母様はいてもダンスを一緒に踊る友は無く、あー名古屋が恋しいなと何度も思った。

その頃弟が歩いて10分もかからない所に住んでいた。 休みの日に弟夫婦がベビーに子供乗せて歩いて遊びに来る。私はそれを見て凄く驚いた『歩いて来たの?』と何度も聞いた。名古屋生活なら車で来る。車が無ければタクシーで来る。節約するならバスで来るのに”歩いて来る”とは信じられない事でした。この距離なら普通で当たり前と分かったのは1年も過ぎた頃。

東京は嫌だ嫌だと毎日言っていた私もやがて住めば都とは良く言ったものだ。渋谷の歩道が狭いとか、デパート売り場が狭いとか、地下街の商店がショボいとかも慣れれば、雑誌に記載された店が近くにあるとかは流石東京で嬉しい情報が溢れている事の素敵さは最高
 ◇女は手に職を持て
女独りでも生きていける事が大切!人生先の事は分からない転んでも立ち直れる力は健康で有ること、経済的に自立出来てること!だからアナタは先生になりなさい! 学生時代から母にマインドコントロールされて育ちな〜んとなく高校の先生になっていた。なったものの授業以外の雑務が多く時間を束縛されて一番やりたいダンスがまた遠くなる。そうだ!講師がいい!自分の教科だけ担当時する臨時講師これだ!母には内緒で教師を辞めて、これで良し!そして無理やりごり押ししてダンス部も作ってもらう。担当教科より力が入り何教科の先生?となる。手に職はダンスの先生だったワと楽しい日々が続く。
そんな私が人生最後の目標はコサージュの本を出す事になっているのも不思議な感じです!寄り道して来たがやっと今ここに辿り着いたヨ。大好きなお花を作る楽しさは、子供の頃からの花好きに繋がっている。誰にでも家で出来るコサージュの本を一冊にまとめたいと思っています。たとえ趣味であっても自己満足で終わらずに日々進歩したいと思っています。

ここまで読んで頂きありがとうございました
。     朝井燿子
 

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